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結成第1267回 5月第一例会誌 《会長の独り言(20)》 第三百四十一回桃山句会

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会長の独り言(20)》

誇りの意味

 

 今期クラブの会長職を引き受けた時に、少しでも私という人間を理解してもらおうとの思い

から、日頃思っていること、考えていることを例会誌を借りて《会長の独り言 》として色々

と呟いてきました。  残すところ4回となりました。

 

「今回は何を呟こうかな」と思っている時、一つの言葉が脳裏をかすめました。

その言葉とは『 誇り 』です。

 

来期はゾーン・チェアパーソンを引き受けることになり、「どのような姿勢で臨むべきか 」

考えていました。

次期の国際会長 L.JOSEPH PRESTON(ジョセフ・プレストン)のテーマは『 誇りを高める』

です。

先ずは、このテーマを理解することから始めるべきですが、未だ本人のメッセージは届いて

いません。

『 ライオンズの誇りとは何か? 』 私なりには『 ライオニズムの本質を知ること 』と解釈

しています。

 

『 誇り 』とは難しい概念です。

『 自分にとって誇れるものは何か? 』  『 誇らしいと思うときはどんな時か? 』

 

幼少期より『誠実に、そして誇りを持って生きるように 』と私の両親から聞かされてきた

ことを思い出します。 当時は『誠実』が何なのか? 『誇り』が何なのか? 理解出来ずにいたと思いますが、その意味がようやく理解できるようになった今、[私にとって誇れるもの」があるとすれば、「誠実と誇り」を言い続けてくれた両親かもしれません。

 

 今の世の中で足りないものがあるとすれば、それは、この「誇り」ではないでしょうか。
自分の中に「誇り」をつくる為には相当な努力が要ると思いますが、誰かが教えてくれるものではないようにも思います。

これについて、私の脳裏に強烈に残っている1枚の写真があります。

 

その写真をみて、皆さんも『 誇り 』について考えてみて下さい。

 

 

その写真とは これ《焼き場に立つ少年 》です。

             

この写真は、原爆が投下された長崎での終戦直後の写真です。

撮影したのは「ジョー・オダネル」というアメリカの従軍カメラマンです。

彼の人生もこの写真によって大きく変わっていきます。

 

この少年の背中に背負われた小さな弟。 彼はすでに死んでいます。
少年の足元に「線」のようなものが見えますが、その「線」の前に何があるのか? そこでは、原爆や爆弾によって殺された人々の死体が焼かれています。 つまり「死体」を焼く『焼き場』の前にこの少年は立っているのです。
戦争ですべてを失い、両親も失い、そして最後の最後に自分自身がたった一人で守ってきた弟も死んだ、その弟を背負い、裸足で歩いてきた少年。 たった一人で焼き場に「埋葬」に来た少年の写真です。

男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい涙をこらえ、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむ

ほど、歯を食いしばっていた少年。 こんな小さな少年でも、その頃の日本人は立派なサムライだったのです。 ( 「小さくても強いサムライ」より )

 

 この写真の男の子の立ち姿を見ていますと「日本人としての誇り」を感じます。

こんな幼い子がこのような状況下で、このように凛々しく立っている。 このような感性を

この小さな男の子はどのようにして築いたのでしょうか? 誰が教えたのでしょうか? 

ご両親でしょうか?  国の教育方針だったのでしょうか? ・・・・・

 

Yoshiaki  HARADA

 

 

ここに1冊の本があります。  参考までに紹介しておきます。

 

『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』   

      ジョー・オダネル( 左 )の写真集 ( 1995年初版 小学館 )

            

 

「ジョー・オダネル」はアメリカの従軍カメラマンです。 彼は19歳の時にアメリカ海軍に従軍し、太平洋戦争(大東亜戦争)に参戦します。  当時パールハーバー攻撃を知り、敵国

日本に敵愾心を燃やしていた青年ジョーオダネルは、日本の敗戦、アメリカの勝利を太平洋の

洋上で聞きます。
「ざまあみろ!ジャップめ!」
「ようやくこれでアメリカに帰ることができる」
そう思っていた矢先、彼は、敗戦直後の日本の調査を行う事を命ぜられる。
その後、彼ら一行は、敗戦後の日本へ上陸してくるのであるが、そこで彼らが見たものは、自分たちが想像していたような日本人たちではなかった。自分たちアメリカの攻撃によって徹底的に痛めつけられ、家族・親類縁者・友人・知人を失ってもなお、彼ら「日本人」は、アメリカ人の自分達に対して温かく、親切に接してくれるのであった。

その体験が、彼(ジョー・オダネル)を変えていく。
そして、そのような時に出会ったのが、写真の少年である。

 

この少年に出会った時の事を、ジョー・オダネルは次のように書いています。

 

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焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。 小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て裸足

だった。 少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。 その子は

まるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。 わき上がる熱風にも動じない。 係員は

背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。 まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。 炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。

気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。 私は彼から目をそらすことができなかった。

少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。 一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。

軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
私は彼の肩を抱いてやりたかった。 しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度

シャッターを切った。 急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み

去った。

一度もうしろを振り向かないまま。 係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだと

いう。 その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭が

あたりにただよった。 今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。 あの少年はどこへ行き

どうして生きていくのだろうか。

この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。 アメリカの少年はとてもこんなことはできないだ

ろう。 直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。 そばに行ってなぐさめて

やりたいと思ったが、それもできなかった。 もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。 私はなす術もなく、立ちつくしていた。

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